神代文字 橋本敬三
(医家芸術昭和三十五年十一月号より)
近ごろふと思い出した事。「医芸」誌友の中には、或いは同じ 道楽をやっていられる方もあるのじゃないかと思って、書いてみ る気になったのです。それは神代文字の事です。
いつか式場兄(※1)が、私がこれをやっている事を知って、どこかで目についたからとて、神代文字の研究に関する単行本を送ってくれた事がありました。
戦前には、日本医事新報の誌友サロンに書いた方もありましたが、戦後は一向見当たりません。私はいつか「呑気者」と題して書いたとおり、二十才前からキリスト教に首をつっこみましたが、旧約聖書を通読し始めたのは、三十才位になってからと思います。
モーゼの五書と言われる、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、と読んでゆくうちに、イスラエルの歴史というものに非常な興味を覚えました。
イスラエル民族の神事、風習と、日本古代のそれと、相似の節々があるように思える。
日本古代の事は、古事記が最古典とされているが、それより 前に旧事記というのがある由。とにかく日本人であってみれば、先祖の姿を知りたい郷愁は、誰も変わりのない事であろうが、何しろ曖昧模糊としている。
郷愁を感じながら、旧約を読んでいるうち、地下の鉱脈で、どこかイスラエルと日本とが連絡があるような気がしてはならない。そのうち、連絡があるのだという説を称える人々にブツかった。小谷部全一郎?酒井勝軍などという人々です。そんなこんなしているうち、思わぬ方面から日本古代、漢字渡来前に、文字があったという事を知った。そしてそれが神代文字といわれている。これで書いた古代の歴史がある事もわかった。映画十戒でおなじみの事と思いますが、モーゼに導かれて、エジプトでの奴隷の境遇から逃がれて故国に向かった民族がイスラエル民族であって、これに十二の支族があるのです。モーゼはビスガの山上から、故国の山河を眺めながら、そこに入らずに死にましたが、同族はヨシアにひきいられて「乳と蜜の流れる地」というカナンの地に入って定着しました。
ここはイスラエルの先祖、アブラハムに、神が約束して与えた土地であり、ここでその子孫は繁栄し、やがて世界を統一するという神勅を得ているところなのです。地中海の東岸、ヨルダン川の西です。ここにイスラエル全氏族は、一度は定着したのですが、不信仰の神罰に当たった故か、十二支族のうち十族はバラバラになって行衛不明になってしまい、ユダとベニヤミンという二族だけが残りました。
このユダがいわゆるユダヤ族なのです。これがキリストの頃までそこにいたのですが、キリストを十字架につけて後、これまた神罰か、流難の運命となり、故国をはなれてしまい、そのあとをアラブ民族に占有されてきたわけです。
前にも書いたように、ここカナンの地は、イスラエルにとっては神からの約束の地です。
世界中に散り散りになったユダヤ人の悲願は、なんとかして ここに復帰したい。
そして、自分らは神の選民だという意識が強く、居住する国 の国民と融合しない。そこにいろいろな複雑怪奇な問題がからんでくるようになり、到るところで排斥されたり、しばしば虐殺されたりした。そのようにしていわゆるユダヤ問題が起こっ てきたのです。どういうものか、世界中に流離しているとはい えども、ユダヤ人の中からは世界的に一流の人々が輩出しています。風あたりも強いが、実力は益々増加するばかりです。
ユダヤ議定書(※2)という怪文書があらわれました。某時某所に、 ユダヤの賢人たちがあつまって、ユダヤ国再建、世界制覇の方 針を審議決定したときの記録だというのです。真偽のほどは不明ですが、実に面白い、また肌寒いような恐ろしさを感じる文 書です。
ユダヤ人が異邦人(自分たち以外の民族)を制するには、各国 の王冠を一つ一つたたきこわさなければならない。そのためには各国民の愛国心を覆さなければならない。自由、博愛、平等というような旗を与えて、それを打ち振り乱舞する大衆を養 成しなければならない。(博愛を平和、平等を民主と現代語に 翻訳してみるとよい)
彼らの精神を堕落させるためには、三S政策でいこう。奢侈を煽り、財布をはたかせるには、デパートを発達させ、その購買欲を旺盛にしなければならない。
彼らの喉笛を締め上げるためには、社会の経済を自分らの手 に納めなければならない。銀行に金を集めよう。
彼らをこちらの思う壺にひきずりこむには、洗脳が必要である。それには、白を黒とも自由に思いこませるために、言論界を 制しよう。
唯物思想で彼らを引きずっていこう。 こんな事が堂々と記録されている。少なくとも五、六十年前 に書かれている。
その後帝政ロシアの王冠をたたき落として、ソビエト革命を なしとげた主力は、レーニンを指導者とするアメリカから渡った多数のユダヤ人たちでした。
マルクスももちろんユダヤ人です。アメリカ西欧各国の陣営で も、政、経、文、それに科学界でも一流所にはユダヤ人がズラリと並んでいる事実があります。第一次大戦後、元のユダヤの地にイスラエル国家がとうとう再現しました。スエズ事件の時 には、クローズアップしましたね。議定書が予定した赤色の旗の下に狂気乱舞する群盲。三Sがリードする煩悩に己を忘れて狂気乱舞する全異邦人の姿を、我々は今、どこに見出しているのであろうか。懍然たるをおぼえる。
戦前はこのユダヤ研究も一部では騒がれ、軍部からも研究者 が出たり、民間にも研究機関誌も存在したことがあったが、戦後占領下では消えてしまっていました。
つい最近、ナチス残党とユダヤ人排斥の落書き事件がちょっと紙上に見えましたが、今度はまたアルゼンチンでナチのユダヤ人虐殺のアイヒマンがみつけられ、イスラエルに連行されて問題をおこしています。戦争のため私は四十台をほとんど国外で送ってしまい、二十三年にソ連から還ってきたのですが、留守中にユダヤ問題や神代文字の本は、それこそ一冊も残っていませんでした。
それから十数年、私は身辺が忙がしく、また職分の仕事にも 燃え立ち、夢中で暮らしてしまいました。道楽も忘れていたというわけでしょう。
先だって、同窓会名簿を送られてみたら、同期の40%以上が亡くなっています。 医者の仕事の外にも、若い時からしてみたいと思っていた道楽 も、仕つくしてからというファイトがる、勃然と湧き上がって来るのをどうすることもできません。
※1 式場兄 式場 隆三郎(しきば りゅうざぶろう、1898年7月2日 – 1965年11月21日)は、新潟県中蒲原郡生まれの日本の精神科医。専門は精神病理学。医学博士(新潟医科大学・1929年)
1898年7月2日新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)生まれ。新潟医学専門学校(現在の新潟大学医学部)卒業。
1929年医学博士(新潟医科大学)。静岡脳病院院長などを経て、1936年千葉県市川市国府台に精神病院である式場病院設立。
橋本敬三先生とは、新潟医専時代に一緒に同人誌「あだむ」を制作。
なお、本原稿が掲載された「医家芸術」は、日本医家芸術クラブの会誌である。式場氏は、医家芸術クラブの初代会長をつとめた。
※2 「ユダヤ議定書」。「シオン賢者の議定書」(ウィキペディア参照)