風鈴随想
「医道の日本」2008年8月号掲載
久しぶりに家族全員が揃った。末の娘が「お父さん、皆んなが揃っているから夕食ね、お寿司をご馳走してくれる」と、せがむ。
家族五人がカウンターに腰掛ける。「父さんの財布は気にしなくていいからな。好きなもの、腹一杯食べていいぞ。遠慮するなよ」と、太っ腹なところをみせる。末娘は「エヘへへ シメシメ」と目が笑っている。箱形のカウンターの中央に、生けスが置いてあって、
魚博士の私は、水槽で泳ぐ魚種を全部知っている。アジ、スズキ、ヒラメ、アイナメ、そしてアワビも水槽に張りついている。その中の、サバらしき魚が目にとまる。
「板さん、生けスに、サバ入ってる」と声をかけると、いるよと声が飛んでくる。
この生けスの魚ね、これ、全部養殖なの?
「そうだよ。サバも含めて全部養殖もんだよ」
へェ、サバも養殖してんだ
「天然モノは入れられないよ、そりゃー、養殖モノとはネ比べようがないけど、ほどほどにうまくてほどほどの単価でとなると、養殖モノになっちゃうネー。」
ところで板さん、養殖モノのエサはどうなってんの?やはり養殖モンのエサを使ってんの?
「そうだよ、養殖している魚のほとんどは、全部同じ養殖モンのエサを食わしてんだよ」
それじゃ、イワシだ、アジだ、マグロだ、と注文しても、結局全てネタの味は同じになっちゃうってことだネ。
「ウンマァ、そうなっちゃうわネ。そこんとこ、お客に、さとられないように握るのも職人の技だわネ。ワサビのつけ具合とか、シャリ加減とか、塩、しょうゆ加減、ツマ加減とかね・・・・。そうやって、うまくて安い寿司を提供している訳だよ!天然モン食べたきゃ、どうしたって時価になっちゃうヨ。
それでもね、今のお客は時価でも、天然ものには目がないからね。そりゃ天然ものと比較したら、養殖モンが気の毒だよ。身の締まりといい、味といい、全然ちがうもの・・・・。」
操体法も、この二極化がはっきりしてきた。
従来どおり、操者の指示に従い、患者に楽を選択させるのか。からだの要求感覚に従い、快を選択するのか、である。この問いかけは、からだが一番よろこぶ事を満たしてあげるか、否かの選択にかかわってくる。からだにとって、最小エネルギーで最大の効果をもたらすもの、それは快適感覚そのものであり、決して楽感ではないことである。
楽を選択するか、快を選択するか?寿司と違うところは、どちらも単価も時価もなく無条件で味わえるってことである。
楽か快かの中身の問題は、からだが楽を要求してくるのか、快を要求してくるか、である。
(2008年8月)