手紙

拝啓

夏休み中は本当にありがとうございました。
はじめて"痛み"に向き合って、本当に痛みとは体のサインなんだなあと思わせてもらったという感じです。
"痛み"これは薬を内服する以外、現代医学では治しようのないもので、人間の弱点であるとも改めて思います。
でも、"痛み"を操体の世界では"サイン"としてとらえて下さるでしょう。痛みの意味まで表現出来て、それが治る可能性を秘めているなんて、やっぱりすごいですね。
夏休み中、現代医学と操体の日本医学、この2つをいろいろと考えてみました。
私の場合、治療の分野に関わるのは、今回改めて操体の治療室に通わせてもらい、患者の立場で学ばせてもらったからなのですが、毎回先生のところで治療されながら思っていることは、操体のすごいところは、現代医学の治療と看護を一遍に同時進行で行っている・・と思われるところです。
看護の話で少し申しわけないのですが、看護とはなにをしているのかというと、一般論としては、患者さんの生命の消耗を最小限にするよう生活過程を整えること、なのですが、要するに"安楽"が求められています。
看護の安楽を越えて、気持ち良さまでもってゆくと、それが治療になってしまうということ、看護と操体って何か似ているとずっと思っていました。
すごいねェ。
今年の夏休みの大きな収穫です。
また、操体は身体的な苦痛と精神的な苦痛を癒す力があると思われるところです。これもまた、治療と看護の同時進行と同じく、
身体的、精神的な苦痛の癒しにも同時進行があると思うところです。
現代医学の病院の中では、"心"を求めている患者さんが、治療がすすみゆく中で、心がおいけぼりにされがちで、病院の中では患者さんが小さく見えます。
看護師の癒しの手が必要なのですが、現実、ドクター指示の"処置"に追われるあり様、臨床の中で、看護の本質すら
忘れられている様です。

また自分なりに気づいたことがたくさんありました。
姿勢として熱心で努力するのと、無理して頑張るとは別なんだね・・・
何といっても熱意が大切なんだね。愛とは人を許す心と先生から学びました。
今まで自分なりの感覚で思っていて、こうやって言葉に表すと理解出来るね。"言葉"の意味ってすごく大切で、きっと先生自身も操体をあれだけにまで大きく広げて、いろんな意味をその中に見いだせたのも"言葉"の意味の力なのかな?と、思ったりします。

20歳は一番揺れ動く年・・と理解して下さったのは先生がはじめての様な感じです。自分でもいやになっちゃうくらい揺れ動くのがよく分かります。年相応に生かさせてもらっているのね・・と自分なりに安心していますが、悩み多き年頃なんだね。毎日毎日がちがうもの。成長してるのでしょうか。
何といっても物事の本質を考えてゆかなければいけないなあ、と思っています。
そう考えると人間も"自然体"が一番だと気づきますね。

大変長々と申しわけありません。
最後にもうひとつ、治療中"母親としての役割"を気づかせてもらったことに本当に感謝します。
女として生まれているということに意味を見いだせたということ、つまり今まで(こういうことを言うとどなられそうですが)
自分を本当に女として意識していなかった・・・ということですね。
といって男ではないのですが、これは一体何なのでしょう。大きな、何よりも大きな問題だったように思います。
現実、看護師は結婚しない・・と一般的に当たり前のようにもなってきている中、当院でも病棟のナースは全員していないのですよね。
結婚はしたほうがいいね

看護と操体を少し頭の中で整理して、すぐはじまる病院実習でいろいろと考えてみようと思っています。
また先生の治療室にうかがいますので、よろしくお願い致します。

ありがとう

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