スペイン広場(マドリード日本人会会報)私の償い1

2010年9月、マドリッド日本大使館にて、マドリッド日本人会向けに開催した文化講演の模様が、マドリード日本人会会報に掲載されました。

「私の償い」その1

この世の中で恐いものの代名詞に使われてきた言葉が、地震、雷、火事、親爺だ。これらの中には命を取られる恐さもある。命を取られると言えば、ガン(癌)も地震の上をいく存在であろうか。

ガンの宣告、それは何の前ぶれ、兆候もなく、密かに、密かに本人に気づかれないように、巧妙に仕掛けられてくる。それは悪魔の声、呪いの姿なのかもしれない。本人にとっては寝耳に水、突然不意を突かれ魂を抜かれてしまうような衝撃的な心境に似ている。医師の告知は、他人の戯れ言(ざれごと)のような空虚さをともなって耳に抜けていく。自分の身におきていることなのに、だ。

実感が全くなければ、人ごとのように空耳のごとく聞こえてくるものだ。その組繊細胞の検査結果と、臓器を輪切りにした何十枚もの写真を突きつけられ、これが動かぬ証拠、おまえさんが犯人だ、観念しろよと、それでも犯行を容認し続けたい被告の立場と、よく似ている。たかが一人の医師が判断しただけのことならば、その場を逃げおおせる。いくらでもプロの専門医がいらっしゃる訳だから……。

ただ私がいさぎよかったのは、迷いがなかったことである。二回、三回目の病理検査ではガン細胞は認められはしなかったものの、一回目の検査で、すでに引っかかってしまったことだ。これこそ動かぬ病理学的物証である。今おまえさんが改心し、神頼みしたところで切腹しなきゃ命がないのだよ、と現実を直視させられているのだ。私はなんの迷いもなく、この先生に執刀を委ねた。これも人生のご縁、これだけの強運とタイミングを私に引き寄せてくれた先生との出会いを私は大切にしたかったのである。

執万の医師が担当医ということもあり、一日のうち朝と夕方に巡診に来る。余談、冗談も気さくに交わせる和やかさが生まれてくる。

先生、病名っていうのは、なぜ人の心を奈落に突き落とすような響きをもっているのでしょうね。恐怖と不安をあおり悪魔が微笑み喜びそうな名称ばかりじゃないですか。ガンと問いただけでも死を連想するでしょう。漢字で書くと癌でしょう。一生治らんというイメージだものネ。医者ってサドっ気があるのかな。うまく治して下されば神さまなんだけど、先生、ガンはおでんのガンモドキにしてみたらどうですかね。患者のきもち、少しはホッと和むでしょう。

病名を全て果物の名称にすり替えてしまうとか、そんな愛嬌があってもいいんじゃないかな。精神的に参ってしまうような病名より、よっぽどましに思うんだけど…。

私は執刀医に向かつてこんなごたくを並べる。よほどおかしかったと見え爆笑している。

よりによって、私の疾患がガンモドキだとは思わなんだ。医師とのやりとりもこんな風であるから私は全くめげても落ち込んでもいない。冷静にこの事態を受け入れ否定することもなく全て飲み込んでいた。