『夢』ROMAN

 

墓前にて

試行錯誤しながらも、三十七年間、一生涯の聖域、人生の学びの場として、この操体の世界を歩ませていただいている。  私の人生を十八齢にして決定づけて下さりまた、ワクワクするようなスリリングな操体の学びに導いて下さったのは、操体の創始者、橋本敬三先生である。人生の師、学びの師である橋本先生とは五十三歳のひらきがある。先生にしてみれば、孫のような内弟子だ。当時先生が七十歳の内弟子であ る。あれから三十七年の月日が流れ、今年は先生の十三回忌を迎える。そんな私は五十四歳、イイ歳になった、と口にでかけたが、子供のような無垢な心をもつ青年だ。打ち消したほうが良さそうだ。 

五十四歳になってそろそろ操体に対する私なりのケジメをつけておくことも必要なのかなと思う。今年に入って数百枚という原稿を書きまくっていることも、一つのケジメをつけようとしているのかもしれない。一つの原稿を書き終えぬ前から、また次々とタイトルがフッとわいてくる。そのつど。空白の原稿の横スミに①、②、③、とタイトルを打って、順々に執筆している有様だ。笑われるかもしれないが、天国におられる先生が『おまえはハシ(ペン)だけ握っておれ、後はワシが書くからな』とと注文してくるような・・・・自分が執筆していると言うより、先生に書かされている風なのである。それが又実に楽しい。こんな感じであるか ら、常に私の空間に橋本先生の気配を感じながら私は生きている。

臨床時もそんな感じだ。ハハーン、先生がまたちょっかいかけているなと、ひんぱんに感じることがある。それが、また新たなる臨床の気づきとなり、操体のビジョンとなっていく。  自宅には先生の著書が、風呂場にも洗面所にも、書斎にも、私の行動のなすところに置いてある。同じ一冊の本が四冊、五冊と。フト本をめくり手が止まったページの箇所には、なにかしら新たな気づきがあって、また それが新たなヒントを与えてくれる。  まさか、先生が「ここ、ここ、ここが抜けてんだ、今おまえが、考えているポイントはここだよ」と教えて下さっているかのようで、つい。先生の気配を感じ当たりをキョロキョロしてしまう。そんな不可解な行動を娘に目撃され、パパどうしたの、と笑われてみたり、時にはいよいよ気がふれたのかと首をかしげられたりするのであった。  事実、起きて活動している時は、操体のことは、何かしら考えている。願わくば、眠りについている夢の中でも、操体のファンタジーが展開されればと夢見ているのだが・・・。 

先生には、とにかく面ん子がられた。(面ん子がられたとは可愛がられたとの意味)また先生の奥様からも面ん子がられた。そんなことでいろいろ外圧もあったけど、今は先生も奥様も今は亡き人になってしまわれたが、今の私の心には、もっと身近な先生、奥様として生きている。それは先生からのごほうびだと思い幸せに思う。

これだけ師匠思いの弟子は他にいない、と自負するのだが、なぜかと聞かれると、この弟子 は、操体の世界に己れの身をおくことがこの上なく最高に自分らしくハッピーな人間でいられると信じて疑わぬからだ。  最後に、私がこの地上にいられるあいだの願いは、九十になっても百歳になっても、操体の臨床の場にいたい、九十になって百歳になって、自分が、操体とどう向いあい、どんな臨床をやっているのか、この目で確かめてみたい。それが生きている間の私の願い。そして、この世とおさらばしたら、まづ先生にお会いしたい。 やっと戻ってきましたよ、と。  そして、又先生と、このシャバにおりて、そうだな、西遊記にでてくる法師さまと孫悟空じゃないけどネ、操体の漫遊をたのしみたい。私が、おさらばする時は、あの世に夢をもって、おさらばするのロマンだと思うネ。そんな夢をもって、ホントにあの世で先生と会い、しばらく、あの世をたのしんで又シャバに本気で戻ってくるつもりかい?この世界を知り尽くすには一代ポッキリの命では時間が短い。後代のご迷惑にならぬよう、静かに先生とおりてくる。

 

(2003年3月4日)

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