一週間のつぶやき

・学びのこころえ
一歩先に出てしまうこと。徹頭徹尾 一歩先へ先へと考えて何ごとにもぶつかって、一歩先にでてしまうこと。大胆、勇敢、猛烈、捨て身になって飛びかかっていくことです。

・人は「暇になったら・・・」と誰れもが考える。しかし暇になって成就したというためしはないのだよ
「動中の工夫、静中に優ること百千万倍」との喩えあり。
終日黙々と正念(しょうねん)相続して活動、努力体験を得る。そこから思わず浮かんだ妙案こそが生きてくる。間断なく流れる谷川の水は常に清らかである。間断なく努めのなかに真実、まことの実が育つ。学びの尊さは、日々にあり、まとめて一石二鳥とはいかぬもの。絶対の境地に我が身をおとしむ、はからい。でありし・・・・。こと

・「観想をなす時」という言葉が目に入る。いったいなんだと思いしや「内観の法」のことらしい。その観想をなす時「心に思うことが現実となり・・・鼻はたちまち世にもまれな香気をかぐ。からだはにわかに柔らかい感触をうける・・・」この文中の「世にもまれなる香気」とある。
私も世にもまれなる香気をかいだ。イスタンブール滞在一日目の朝であった。モスクから流れるコーランの聖歌を耳にする。その瞬間、この世にもまれなる香気をかいで目が覚めたのである。不思議な情景であったが、なんとも至福であった。
私は臨床中でも、かぐわしい香りをかぐことが多い。患者、患者によってその香りが変化する。私はお香を焚くが、私が使用しているお香とはまるで違ふ香りである。この世にもまれなる香気は、心に思うところが現実になり・・・とある。私は内観のなんたるかは詳しく知らぬが、無意識に少しは、その妙を現実の中で味わえているようだ。

・好色
精虫といふ時を越え、自分をとらえてみる。一億数千匹の精虫、その一番元気がいい一匹の精虫が私である。たいした元気だ。
一番生命力があって、快を知る精虫。この世に存在する私とは快が好きで好きでたまらない、スケベ坊の存在だ。
上品、中品、下品の問題じゃない。
無条件に無類なき生命力なのだ。
好きだってことは、自分が好きで人間が好きなのだ。
それだけ色気、好奇心があるってことだ。
そのスケベーな生きものをどうコントロールし調和するかだ。この世と、目に見えないあの世と、どうよりあいをつけていくかである。
このスケベーな生きものにもルールがある。
不可視な世界とつながって調和すること。それが個々の魅力、人間としてのつながりである。
このスケベさがないと、心身一つに納まりきれない。
このスケベさは、品性、その人らしさなのだ。
わきまえのあるスケベ心である。かっこいいのもこのスケベさである。品性のスケベさも創造力である。
食欲もこのスケベ心がないと、元気食とはならない。

・昨日、九州のポン友から連絡あり。よォー。
東京に出てきているんだろう、仕事も済ませて身軽いんだろうが、俺は手が抜けない。電話だけですまないな、と声をかける。
ポン友「明朝、かみさんを羽田に迎えて秋田の温泉に向かうんだ」
ほーぉ。いいことだ。たまには奥さんとしっとり仲良く濡れてこいよ。
ポン友「しっとりと肌をあわせてかみさんを歓ばせてあげたいけどネ、もうあそこが機能せんのよ」
なに、おまえさん、もうその年で立たぬのか。なんという生き方しとるのよ
ポン友「あやしい薬使っても機能せんのよ」
と云う。そういう寛はどうなのよ
用事がある時はちゃんと返事してくれているよ。
ポン友「ヘェ、まだ現役なのか、おまえ、恐れ入るよ。こっちの仲間のほとんどが、もうコールせんのよ。おまえのほうが異常だな」
マァ、立てるか立てないか立たぬかは、どうでもよいが、生活に疲れるような人生の使い方はするもんじゃないな・・。おつかれさまです。
疲れるような元気をつかうべからずです。

・操体法のベーシック講習を受けている六十何歳かの男性。快を味わえるも、わからねェ、わからねェと口走る。この男性は死の瞬間までも自己否定し続けていくらしい。人生の苦美(にがみよさ)、その苦楽を知りつつも、きもちよさがわからないと、嘘ぶく。
無知は分離。自画なる心も矛盾、迷いを生ずる、である。わからねェ、知らねェは自己に対するいいわけである。いっそのことわからねェでいいヨ。
しかし快は、おまえさんのためだけにある訳じゃない。
いのちにあるのだ。おまえさんごときがしらを切っても痛くもかゆくもない。死には痛みがあるだろう、というその苦から自我をほどき、ありがとうございますと声にして、生にして味わえぬエクスタシーを得て昇天すればよし、絶対なることを受け入れなければさらなる自我は苦しい。
しかしジタバタしてもがいても、来るものは来るのだよ。いさぎよく自我を静めよ。