健康に関する五つの場 

女子体育

生きる力を育む体育・スポーツ・ダンスゲーム・球技で生きる力を育む
JAPAN ASSOCIATION OF PHYSICAL EDUCATION FOR WOMEN 9月号
連載 表現講座より
 
-生かされているイノチ-
人体構造運動力学研究所
三浦 寛
 
 
 仏教の教えに『ヒトは生まれながらにして、四百四病のキャリアをもって生まれてくる』というのがある。四百四病とはいかなる病気を示しているのか興味深いところであるけれど、現代を生き抜く私達にとって、これらのキャリアがいつ発症してもおかしくない状況に不安をいだいて生きている。
 
 私達は、そもそも発病しないで済むすべをまったく知らないでこの命を使わせていただいていることに無関心ではいられない。現代医学は直接生命(イノチ)にかかわる疾病に対して研究開発にいとまがないが、医学の基本である健康人が病気にならないためにはどうしたらよいのか、という未病(ミビョウ)医学には盲目的である。現代医学はまさに治療医学であって、これらのキャリアが発症、発病してからの医学なのである。これでは困るのだ。でも現実はそのとおりであり、まさに自分の健康は自分で守る以外になさそうだ。寿命が延びたと云ってただ喜んでばかりもいられない。人間らしく生きていけない、人間らしく死んでいけない時代なのに寿命だけが延びている。今、人の生き方が問われている。一人ひとりが自立する時代を迎えている。生きていくことは楽じゃないが無関心でもいられない。でも希望はもてる。現代人は何に無関心なのだろう、自分が生きていること、生きること、その命(イノチ)に対して無関心で無知なのだろうか、若い人達から「生かされている」と言う言葉を耳にする機会が少なくなったと思う。それは、自分の命、人の命、自分の存在、生きること、生かされていることの尊さが人の心から薄れているのではないだろうか、その分自己に自らを問いかける、自己の内面との会話が希薄になっていないだろうか、それは生きることにおいての自分学、人間学の問題に継がっている。生きることは大変なことで楽ではないが私は生きる事とは他力じゃないかと思います。つまり、「私の命は私自身にある、だからこそ生き抜いていくんだ」と言う自己なる意識を「生かされて生きているイノチ」という風に変えてみると、生き方が、生きていることがやさしく穏やかで、何か温(あ)ったかく見守られて生きている、という自覚が沸いてくる。自分がいとおしい存在に思え、人にもやさしくなれる。言葉が変わり意識が変わっている自分に気づく。生かされているいることの意味は、見返りを求めることなく無条件にこのイノチを生かしてくれている存在の意で、「元々ある、自在している。生かされているイノチ」という思念の世界を学ばせていただいたのは、昔大仏寺(後の永平寺)を開いた道元(ドウゲン)禅師と操体法の創始者、橋本敬三医師である。道元禅師の教えに、「鳥の命は鳥にあらづ空にあり、魚の命は魚にあらづ水にある」という名訓が残されている。これは、「生あるものの命というのは、この命を生かしてくれているものの存在にこそ、その命の本質があるのだよ」という教えです。そして、この命の本質は有り難く無条件に与えられている、一斉何一つたりとて見返りを求めず、ということですから、「ご縁をいただいて存在しているこの命を十分に味わって生(い)きることを楽しみなさい」という意味でもあるのです。仏様(ほとけさま)も「人生多いに苦しみなさい」とは言ってはおらず、「人生を多いに楽しみなさい」と言われるのです。このように、生かされているイノチであって、生かされるべき命の本質が無条件に与えられていることは、まさに、あの世に浄土があるのではなく、この世が極楽浄土なのだ」という世界観が存在する。医師橋本敬三は「この世は人間の摂理(セツリ)「で成り立って動いているのでじはない、自然の摂理で成り立ち運行されている宇宙生命感である」と、説き、無条件に有難く生かされているイノチとは、絶対の救いが貫(ツラ)ぬかれている命である、己れの人生に不平・不満を言わず有難く感謝して歓びと感動をもって生きよ」と言われるのだ。永遠の命と云うのは、命の本質があるということで、それはこのイノチを生かしつづけてくれている存在を意味する。人間が定めた摂理は時代の背景、動向によって大きく変化するものだが、大自然の摂理は絶対不変である。この摂理(法則)に委ね従う生き方の中に、ヒトが生きるという真の姿があり、至福が与えられているのではないか、イノチあるものの本質を探っていくと、必ずある方向性をもっていることに気づくのです。生命現象(イノチの営み)には必ず波動(運動性)がともないます。その波動はイノチのバランス、調和という働きかけであり、それは必ず快の方向に従うというイノチの法則、摂理がつらぬかれている、と云うことなのです。
 
 そこで、私達は日々絶やすことなくイノチの営みを繰り返していますが、その中で他人にとって変わってもらえぬ責任生活があります。それはヒトが生まれて死を迎える瞬間まで営なまれる自己の責任生活を意味するもので自己最小限責任生活必須条件と呼んでいます。具体的に説明しますと、私達は環境(自然、人為、社会環境)の中で自己責任生活として、息(ソク:呼吸)、食(ショク:飲食)、動(ドウ:身体運動)、想(ソウ:精神活動)の四つの営みを繰り返しているのです。この四つの営みを生命エネルギーの入・出力といい、このバランスを生命力学のバランスといいます。ここで重要なのは、環境とこの四つの営みが個々単独に独立して存在するのではなく、これらが同時相関し、相補しあい連動している存在なのです。さらに、これらの営みには、生かされるべき快の方向性(自然の法則)が自在してあるということで、自在してあるとは自己の意思によって自由にコントロールできる、つまり自律可能ということなのですから生きている限り自己の責任がともないますよと云うことなのです。このことは、創造的人間性を保つ役割と心身の調和をはかり自分らしさを保つ秘訣なのです。イノチある存在にとってこの環境とは宇宙規模(キボ)の観点から考えてみる必要があります。私達のイノチにとって地球はそのイノチの母体としてとらえてみることです。私達のイノチも地球という一つの生命体から発祥した命であることを忘れてはならないのです。環境にやさしい、地球にやさしい人になろうというのは、自分のイノチの母体にやさしい人になること、それが人類、私達の幸せに継がることと理解できるのです。生かされているイノチとはこのことで、それに気づけば、一人ひとりの命がとても重く尊いのです。自分勝手に粗末に使ってはならないイノチであって、有り難く感謝して使わせていただくイノチなのです。愛と歓びと感動をもって味わう人生、イノチとは愛と感動(快の方向性)に向く、それがイノチあるもののより正しい方向性なのです。
 
 次に食・息の快の方向性(自然法則)について話してみます。一生の人生の中で息と食の重要性は計り知れぬエネルギーそのものという感がします。どちらがより重要であるかを問題とすべきではなく、生命現象を営むために、重要不可欠な生命エネルギーには変わりないのです。私自身、診療を続けながら一週間水だけで絶食した経験があります。人間は一週間、十日位は何も食べなくても生きていけるものなのだなア、という実感を得ましたが、呼吸だけはそう悠長(ユウチョウ)なことは言っておれない。三分間、息を止めているだけで絶命してしまうイノチなのだから無意識に呼吸しつづけていられることがなんて有難いことなのだろうと感動してしまう。食については、カロリーによって食のバランス、栄養のバランスを考えがちであるけれど、歯の種類と本数の割合で食のバランスを考えてみます。歯の総本数は二十八本、その内、前歯八本は野菜類、犬歯四本は肉類、小臼歯大臼歯十六本は雑穀海草、果顆類を噛みくだく歯になっているのです。食のバランスにとって重要なことは、肉食する歯の本数が総本数の七分の一ということなのです。動物食と植物食のバランスは一対七、歯の本数からみた割合では肉食一に対して野菜はその二倍、雑穀類は、その四倍ということになります。これが食の自然法則、生かされし快の方向性なのです。息についてはどうでしょうか。自然体(健康体)では、深くて長い腹式の呼吸になっているようです。これは、健康体にあって、からだが無意識につけてくる呼吸です。逆に、心身がストレスの状態にあったり、内科的に内臓臓器器官が器質的に破壊された状況にある場合には、浅く短い呼吸をつけてくるようです。これも、からだが必要あって無意識につけてくる呼吸なのです。心身が病んでいるということは、からだは呼吸を浅く短くつけてイノチのバランスを保ってくれているのです。これが息にみる生かされし快の方向性です。最後に動(ドウ:身体運動)ですが、からだには構造(ツクリ)があって、それが動くのですから、この機動するシステムには構造と規格があるのです。それは、合理的で能率的な、からだの使い方と、動かし方を示すもので、それを重心安定の法則、重心移動の法則と言います。重心安定の法則とは、腰を要(カナメ)としたからだの使い方で、手を使う場合は小指側を運動力点とし、足は親趾(オヤユビ)側に支点をかけることが条件になります。重心移動の法則は、からだの動かし方のルールで、立位でからだを捻る時は、捻る側の足に体重をかけ、横に倒す時は倒す反対側の足に体重をかけます。前屈の際はお尻を後(ウシロ)に引き、後屈の際は、腰を前に出す。以上のように、からだの使い方、動かし方にも生かされし快の方向性(自然法則)があるのです。また、からだのバランスの制御法は、快適感、快感覚を味わえdrる動きを生体(カラダ)にフィードバックすれば歪(ユガ)みが修復され、正しい状態に制御できるように有難くできているのです。(所長)
 
 
伊勢 おかげ横丁にて